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大地震、私に一番近い悲しい出来事

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(ネットより)東北大地震当日。仙台空港には、滑走路に濁流が押し寄せた画像。
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(ネットより)津波により孤立された仙台空港。


 地震後3週間が経ち、未だに正視に堪えがたい光景です↑↑。
 あとでわかったことですが、この写真に映ってた津波に飲み込まれた畑の一部はD君の実家のものだそうです。そして昨日、会社の数人が代表として車で物質などを積んでD君の居る東北へ発ちました。
 数年前、取引先のO社が次世代技術者育成研修のため、若きD君を我が社へ2~3年間派遣されたことがあります。D君はO社社長の親戚で、本家には男の子が居なかったので、農業一筋のD君のお父さんを説得して、次男のD君を技術系の勉強をさせたそうです。
 農業大好きなD君のお父さん、毎年うちの会社に自家製のメロンやお米を送ってくれました。その量は普通のお中元やお歳暮と違って、とにかく多くて、同部署のみんなで小分けしていただける量です。D君家のお米も、さすが銀座の料理店へ直送するほどのクオリティで、もちもちでとてもおいしいです。
 そんなD君の実家、今回の地震で広い畑は水没され、数軒の家屋も流されてしまいました。そしてあの畑一筋のD君お父さんですが、地震が起きてから津波がやって来る間に、畑のことを心配で見回りに出かけたまま、車ごとを津波に飲み込まれて帰らぬ人となってしまったのです。
 地震のことを知り、少し離れた場所にある会社から実家へ向かったD君ですが、仙台空港にたどり着いた途端に、周りは濁流が押し寄てきて、空港自体が孤島になり、D君も1,000人以上の空港避難者の一人になってしまいました。
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(地震後10日間過ぎ、人探しサイトで見つかったD君に関する情報)

 空港ビルの上で避難中のD君が、目の前の光景に震えながら、流されて隣のビルにぶつかった駐車場の車の中から、無意識に自分の車を探してたとか……
 そして、空港避難者たちと共に救出され、奥さんの実家でテレビを見て、その繰返し流された映像の中から父親の車らしい車を発見して、やがて現場に行って本人確認を取れたそうです。
 その翌日の夜中3時半頃、以前会社の仲良しTさんがD君からの電話を受けたそうです。地震の影響で、日中は携帯電話が殆ど通じないらしく、やっと夜中に通じたみたい。電話の向こうで、D君が泣き声で父親の葬式もしてあげないといけないのに、先祖代々のお墓まで流されてしまった今、どうしようと話したそうです。
 地震後一週間目の同じ金曜日の夜、会社の上司に誘われて気晴らし飲み会の席で、私は初めてD君のこの話を聞きました。連日の心労もあるでしょうが、思わず涙が溢れ出してしまいました。その時は私なんかは、ちょっと落ち着きがなくて「できるなら首都圏を離れたい!どこかへ避難しようか」と騒いでたので、D君のことを思うと、当時の自分が情けなくて仕方ありませんでした。
 その後、私たちは取引先のO社宛てに激励メッセージを書いて送り、そしてO社からも「大変ですが少しずつ営業再開できるように準備しています」との連絡が入り、わが社の社長も深夜に全社員にメールを流し、解体予定の社寮を被災者を受入できるように変更したいと社員の意見を伺ってきました。そして、遂に昨日、D君の実家へお迎えの車などを送り出すことができました。
 これは多分、今度の大地震で私に一番近い悲しい出来事でしょう。
 そして震災地ではもっと悲しいこと、もっと言葉に表現できない惨事を経験された方々がいっぱいいらっしゃるでしょう。
 
 最後に、この度の地震により被災された皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。



 
by jasminejun | 2011-04-01 14:19 | *feeling


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